祝い方のかたち

祝い方のかたち

「誕生日はどう過ごしたの?」って職場の仲間の集まりで話を振られたので「あぁ、そういえば誕生日この間だったっけ。何もして無いよ」と答えました。そしたら「寂しすぎる!」なんて同情されてしまいましたね。そんなもんなんでしょうか?

はっきり言って、学生時代からろくな誕生日の迎え方をしてないんですよね。まともに誕生日らしくパーティをしたっていうのは、多分小学生時代が最後じゃないかな?

中学生時代は反抗期もあったからか、家で祝い事をやるのが恥ずかしくて誕生日には家に絶対いませんでした。ゲームセンターに閉店までいたり、夜の公園で友達とサッカーやバスケをやって過ごした記憶があります。もちろん、友達には「今日誕生日なんだ」なんてこと一言も言ってませんでした。

一人暮らしをはじめたらなおさら誕生日なんてお構いなしになりました。自分の誕生日がいつだったか忘れるは、年齢すら曖昧になっていた時期もありましたからね。それくらい忙しい生活を送っていたという見方もできます。

そんな過去話をしたらなおさら同情されました。ずっと彼女がいなかったのと心配もされましたが、そんなことは無かったんですよね。でも、思い返してみてもお互いの誕生日を祝った記憶は一切ありません。これはこれで不思議に思われるのも無理ないかな(笑)。まぁ、僕も当時付き合っていた彼女も変わっていたってことなんでしょう。

一般的には、祝い事は盛大にっていうのが普通なのでしょうが、僕のように普通に感じない人もいるんです。誕生日以外にも、クリスマスやお正月なんてのも特別祝いたい気持ちにはなりませんし、正直言うと嫌いに近いものがあります。結婚式といった祝いごとも嫌いです。

堅苦しく感じるし、みんなやってるから当たり前の行事という感覚がどうしても慣れられないんです。やらなければいけないみたいな雰囲気を感じ取ってしまったり、そうでもしないと楽しめないといった雰囲気もまた、苦手です。

きっと、昔からイベントを避けてきて成長してきてしまったからそうなってしまったんだろうなと、自分では分析しています。でも、お祝いするという気持ちを誰かに伝えたり、伝えられたりするのが嫌いなわけではないんです。ただ素直に「おめでとう」「ありがとう」と気持ちを伝え合うのが好きなんです。そこに形や物を取り入れて大げさにするという行為が、合わないんです。

人間の先入観

もう随分前のことなのですが、工場で深夜のアルバイトをしていた時にこんな面白いことがありました。

その工場で深夜に働いていたのは、僕のように若い男性か、もしくは50~60歳くらいの年配の方で工場勤務を本業にしている人のどちらかでした。僕は年上の方と話をするのが好きなので、いつも休憩時間に鳴るとおじさん集団に混じってました。

あるとき、一人のおじさんが最近入ったばかりの一人の若い子を見ながら言いました。

「あそこの子、女の子なのにこんな時間によくがんばってるよなぁ。うちにもあれくらいの歳の子がいるんだけど、もしうちの子がって想像すると、色々考えちゃうなぁ……」

真剣なまなざしで話していたおじさんだったのですが、その話を聞いていた僕や周りの人はクスクスと笑いが止まりませんでした。

「なんで笑ってるんだよ?」

と、不思議そうに尋ねてきたおじさんに、僕は答えてあげました。

「あの子、女の子じゃないですよ。男ですよ」

ドカンと大爆笑でした(笑)

おじさんが女の子と思っていた子は、確かに髪が長くて細身で後ろから見たら女の子と間違えてしまう姿でしたからおじさんが見間違えるのは無理も無かったです。でも、笑っちゃいましたね(笑)。

人間の先入観は凄いもので、おじさんはきっと近い年頃の娘がいるということで勘違いを促進させてしまっていたのでしょう。

こういうことってよくあるもので、僕にも結構経験があります。毎夜ジョギングコースで見かける微動だにしない犬がいるなぁと思って不思議に思っていたら、実は置物であったり、イカリングだと思って食べたらオニオンリングでがっかりしたり、プリンかと思ったら卵豆腐だったり。全部勝手思い込んでいたものですから、いざ事実に驚いてしまうんですよね。

そういった先入観を利用したのがマジックだったりするんでしょうね。種明かしされたら実はたいした事無いじゃないかって気づかされたりもします。

映画なんかでもよくこの手法を使われたりしますよね。ブルース・ウィリスとハーレー・ジョエル・オスメント主演の映画『シックスセンス』なんかも先入観を上手く利用した大作ですよね。あれはまんまと騙された映画でしたね。

こういった先入観を上手く利用することが、人を楽しませる秘訣の一つなのかもしれませんね。